Fokin Labに留学して:岩崎真之

 

2009 年 4 月から 2010 年 3 月までの一年間,米国カリフォルニア州サンディエゴにあるスクリプス研究所 (The Scripps Research Institute) の Valery V. Fokin 先生の研究室に留学する機会を得ました。

サンディエゴは,アメリカ西海岸の最南端,メキシコとの国境沿いに位置しています。一年中温暖で雨が少なく 4 月から 10 月には晴天が続きます。全米で最も気候のいい街と言われています。治安もいいため,住みたい街 Top 5 に毎年選ばれています。太平洋に臨む風光明媚な場所で,盛んなスポーツはサーフィンとゴルフです。スクリプス研究所は,そのサンディエゴの近郊のラ・ホヤ (La Jolla) の研究施設のコンプレックスの一角を占めている。スクリプス研究所は,改めて言うまでもないが,世界トップクラスの有機化学者が集まる研究施設である。例を挙げるときりがないが,有機合成化学の分野では,P. S. Baran, C. F. Barbas III, D. L. Boger, M. G. Finn, K. D. Janda, K. C. Nicolaou, J. Rebek Jr., K. B. Sharpless, J.-Q. Yu らの活躍が近年目立っている。

筆者の Principal Investigator である Fokin 先生は新進気鋭の若手研究者であり,クリックケミストリーを用いた反応開発やトリアゾールの変換反応について精力的に研究している。ラボはシャープレス先生と同じ部屋を使っていて,Sharpless-Fokin 研と呼ばれていた。私が留学した当時は,ラボは 20 人くらいの規模で多すぎず少なすぎず,ちょうどいい数の人間がいました。驚くことにその 20 人が 20 人ともクリックケミストリーに関わる研究をしていました。ある人は,トリアゾールの開環を鍵とした新反応の開発,ある人は,クリックケミストリーを利用した生理活性物質の合成など,様々な研究が活発に行われていました。

まず驚いたことは,研究室の構成メンバーがほとんどポスドクであるということである。筆者が研究室に入った時には博士課程の学生はわずか一人であった。スクリプス研究所には大学院も併設されており,大学院生も多く研究しているものの,日本の研究室では学生が主戦力となるという文化しか知らない筆者にとっては驚きであった。またその顔ぶれは非常に多国籍でした。ロシア,イギリス,インド,ドイツ,オランダ,中国,イタリア,オーストラリアなど様々な国からポスドクが来ていました。むしろアメリカ人は少数派です。そのせいもあってか,英語が下手でもみんな聞いてくれるのはありがたかったです。

お昼休みには研究室のメンバーで化学棟と病院の間にある中庭のコーヒーショップで雑談するのが日課であった。年中快晴の天気を忘れられない。 Sharpless 研に行かれた方はご存知かと思いますが, Fokin 研でも研究室内外国語禁止令があります。このおかげで日本人がたくさんいるスクリプスでも英語に親しむことができたのではないかと思います。

スクリプスの裏には世界的に有名なゴルフ場 (Torrey Pines Golf Course) があり,遼くんや藍ちゃんがやってくる。また,毎年タイガーウッズが来るが,その年は彼の事情でプレイすることができず,見られなかったのが残念である。

ハッピーアワーのこと。スクリプス研究所には学生から成る組織があって,そこで学生が注目している化学者を招待して講演してもらったり,週末にはお酒とピザを振る舞ったりしている。この機会に普段はあまり交流のない研究室の方とも話す機会があったのは,スクリプスならではの良い習慣だと思います。このようなことがあるため,共同研究などが盛んに行われているのだと思います。

一度,Sharpless 先生のお宅にお邪魔する機会がありました。18:00 にそれぞれの国の料理を持参して家に来るように言われました。Sharpless 先生のお宅は,美しい海岸がたくさんあるサンディエゴの中でも最も美しいと言われる La Jolla Shore が見渡せる閑静な住宅街の一角にあります。私は,妻に作ってもらった日本食をもって,集合時間の 10 分前に到着しました。しかし,辺りを見回しても誰一人いません。筆者はドキドキしながら待っていましたが,様子がおかしい。時刻はパーティーが始まる時刻をとうに過ぎている。我慢できず,チャイムを押すと,Sharpless 先生が中から驚いた顔で出てきました。時間を間違えたと思った筆者は,Sharpless 先生は非常に知識人で,そのときみんなを待つ間いろんな話をすることができて,とても貴重な体験でした。その後,研究室の同僚にその話をすると,ファッショナブリーレイト (Fashionably Late) (ホストのことを考えて敢えて少し送れて行くこと) の話を教えてもらいました。

サンディエゴでは,スクリプスの日本人会があって,年に数回バーベキューパーティーが行われています。そこで,いろんな情報交換を行ったり,研究者の奥様どうしが仲良くなったりします。日本スクリプス会というものがあって,西日本と東日本で年に一回ずつ会合があります。このおかげで日本に帰った後でも,この会を通じて様々な方と知り合うことができました。

私が留学した 2009 年の一年の間に,マイケル・ジャクソン氏の逝去や豚インフルエンザの大流行など様々な大変なことがおこり,記憶に残る忘れられない一年になりました。同じアメリカでも東海岸とはまた違う文化や環境での生活は,筆者にとって非常に有意義なものとなりました。

最後になりましたが,このような機会を与えて頂いた大嶌幸一郎先生,留学先を決めるにあたり相談に乗って頂いた依光英樹先生,サンディエゴで大変お世話になった Fokin 先生,Sharpless 先生に厚く御礼申し上げます。また,滞在中にお世話になった皆様に心より感謝致します。

本体験記は近畿化学協会有機金属部会Organometallic Newsに掲載されたものを改変、編集したものです。掲載内容は2010年当時のものです。

Rebek Labに留学して:山中正道

  • スクリプス研究所とは

私が見て感じたスクリプス研究所(The Scripps Research Institute, 以下TSRI)は,“一流の研究者に最高の研究環境を提供する研究所” である.  あるとき,留学中のボスであったJulius Rebek, Jr. 教授に「どうしてTSRI に移ってきたのですか?」と,1996 年に前任地であるボストンのマサチューセッツ工科大学よりTSRI に赴任してきた理由を尋ねたところ,「それは,冬も寒くないからさ」と冗談とも本気とも取れるようなコメントのあと,こんな答えが返ってきた.「会議や教育への負担が少ないうえ,研究費の工面に悩まされることなく,自分の研究に専念できる環境だからだよ」と(Rebek 教授はスカッグス財団より研究費を支援されている).そして,「自分のやりたい研究に多くの時間を割くことができる今の環境にたいへん満足している」ともいっていた.  事実,私がTSRI に在籍しているあいだ,Rebek 教授はあれだけ著名な先生であるにもかかわらず,1 日の大半の時ビティーの特色を生かし,多くの興味深い物理有機化学的間を教授室で自分自身の研究のために費やしていた.講義や会議で忙しい日本の大学の先生とはずいぶん違っている.

  • レベック研でできること

研究テーマ

現在、レベック研では、水素結合を介した超分子カプセルの研究が主力になっている.Rebek 教授はこの分野のパイオニアで,研究の端緒はマサチューセッツ工科大学在任中の1993 年に発表したテニスボール型カプセルにまで遡る.そのあとも,ソフトボール型カプセル,シリンダーテーマの設定はかなり自由度が高く,研究室の流れに則したものであれば,自らの発案で比較的容易にプロジェクトを始めることができる.多くの人は常時2 個以上の研究テーマを並行して進めていて,テーマに応じてチームを組んだり, 個人で進めたりする.そのチーム編成についてもRebek 教授が指示することは少なく,ほとんどは各人の判断によって行われる.  幸い,私の場合はほかの博士研究員との共同研究,大学院の学生との共同研究,そして単独での研究を体験することができた.それらには,それぞれに違った面白さがあり,よい経験となった.

最近の成果

ここ数年は、1998年にはじめて報告したシリンダー型カプセル〔Nature, 394, 764(1998)〕に関連した研究がカプセル研究の中心となっていた.多くの超分子カプセルのキャビティー(カプセルの中空)が球状であるのに対して,このカプセルのキャビティーは円筒状で細長い(約420Å3).そのため,このキャビティーに包接された(閉じ込められた)ゲスト分子の運動は規制される.このシリンダー型カプセルによって提供される特異なキャビティーの特色を生かし、多くの興味深い物理有機化学的現象が観察されている。たとえば,キャビティーの不斉認識場としての利用J. Am. Chem. Soc., 125, 13981( 2003)〕や,ゲスト分子の配向や配置に起因するこれまでに例のない異性体の観測〔J. Am. Chem. Soc., 125, 6239( 2003), Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 101, 2669( 2004)〕などがあげられる.もう一つの研究の柱は機能性キャビタンドに関する研究で水溶性のキャビタンドによる分子認識〔Angew. Chem., Int. Ed., 42, 3150( 2003)〕や,官能基化されたキャビタンド内での化学反応の加速〔J. Am. Chem. Soc., 125, 14682 ( 2003)〕といった成果を報告している.

実験環境

大学院生や博士研究員には、ドラフトと実験台、そしてデスクワークをするスペースが与えられる.渡米当初, 日本の狭い実験スペースに慣れていた私にとってはなんとも贅沢な広さであった.エバポレーターやHPLC などの機器は研究室内で共通で使用している.  レベック研での研究において最も使用頻度の高いNMR に関しては, 600MHz( Bruker)の装置を1 日中ほぼ自由に使うことができる.また,特殊な測定を行う場合には,専門の技官が親切にサポートしてくれる.

 

ゼミ

レベック研の研究報告会は年に4回、学会形式で行われる. Rebek 教授の都合に合わせて報告会の開催日が決められ,大学院生,博士研究員はそれぞれの研究成果を約20 分で口頭発表する.また年に2 回,研究の進行状況を冊子にまとめた「Progress Report」の提出が求められる. 論文紹介のゼミは,大学院生と博士研究員のみで週に1回のペースで行っている.また,とくに博士研究員の場合はRebek 教授のほうから研究の進行状況を尋ねてくることが稀なので,研究の進行状況についてディスカッションしたいときには自分から教授室を訪ねて行く必要がある.その頻度は人によって異なるが, Rebek 教授は忙しいときでも非常にていねいに応対してくれて,いつも的確な助言を与えてくれる.そのため,私は好ましい結果がでたときばかりではなく,研究が煮詰まったときも,かなりの頻度で教授室へ押しかけていた.

 

レベック研で合成されたカプセル

a)テニスボール型カプセル.メタンなど分子サイズの小さなゲストを包接する. b)ソフトボール型カプセル.複数のゲストの包接も可能で,化学反応の加速効果も発見された. c)シリンダー型カプセル. 細長いキャビティーをもつため,包接されたゲストの分子運動を規制することができる.

 

 

Ghadiri Labに留学して:高谷光

本体験記は近畿化学協会有機金属部会Organometallic Newsに掲載されたものを改変、編集したものです。掲載内容は2004年当時のものです。

スクリプス研究所はカリフォルニア州サンディエゴ近郊にある米国最大の私立研究機関である。もともとは医学、薬学、生化学分野における基礎研究を行う機関として設立されたため、有機化学や有機金属分野ではそれほど名前の知られた研究機関ではなかった。しかし、1987年に研究所理事になったR. A. Lerner 教授によって化学分野の積極的な拡張と増強が行われ、ここ10年程の間にJACS誌やAngew Chem誌等でThe Scripps Research Instituteの名前を見かける機会が一気に増え、そのため最近では基礎化学分野における優れた研究機関の一つと数えられるようになった。スクリプス研究所の名前を知らない方でもK. B. Sharpless, K. C. Nicolaou, J. Rebek Jr., D. Boger, C. H. Wong, A. Eschenmoser, P. Schultz, K. Wuthrichといった化学者の名前をご存知と思うが、彼らはLerner教授の戦略のもとにスクリプスの化学科に集められた教授達である1

私はタンパク質や酵素に興味を持っていたので学生時代からLerner教授やSchultz教授らの触媒抗体に関する論文を読んでは夢を膨らませていた。また、近化でお世話になっている諸先生方からもスクリプスの話しを伺う機会があり、留学先としてごく自然にスクリプスを選んだ。前述の様にスクリプスはもともと医学、生物学主体の研究機関であるため、生体由来のタンパク質やペプチドを扱う研究室が多い。しかし、私は化学的な手法で天然に無い新しいペプチドを合成するということに強いこだわりがあったので、DLアミノ酸からなる環状ペプチドを自己集合させたペプチドナノチューブの研究をしているReza M. Ghadiri教授2にコンタクトをとって席を作ってもらった。留学の細かい経緯などは紙数の都合上ここでは省くが、スクリプスの教授陣は一般に親日家が多いので、留学を考えている方は何はともあれお目当ての先生に直接メールを書いてコンタクトをとることをお勧めする(日本からのメールはきちんと見ている人が多い)。非常にリッチな研究室が多く、金銭的な事も頼めば何とかなる場合がほとんどである。

Ghadiri教授はTrost教授(当時ウィスコンシン大学)の下で博士号をとった後にヘリックスバンドルで有名なKaiser教授(ロックフェラー大学)の研究室でポスドクをされた経歴の持ち主であり、生化学やタンパク質科学だけでなく有機化学や有機金属化学にも造詣が深く、ディスカッションする度にその知識の豊富さと勉強量のすごさに圧倒された。教授は研究上の独創性や自主性を大変重んじる方で「独立独歩の気風みなぎる緻密な完璧主義者」というのが1年間お世話になった印象である。論文作成に対するこだわりはスクリプスの中でも随一で、minor revision で採択可と返ってきた投稿論文の実験を納得いくまでやり直し、半年後、1年後に再投稿することも珍しくない。このあたりはGhadiri教授が書かれた論文のイントロなどを見て頂けるとよくわかると思う。特に印象に残っているのは、ディスカッションの後に指示された事を無思考にそのまま実行に移そうとした時に、もっと考えて自分のアイデアでやりなさいとお叱りを受けたことで、その際「I don’t like robots.」と言われた事を今でもよく思い出す。

Ghadiri研はNature誌の表紙にもなったペプチドナノチューブでよく知られた研究室であるが、その研究内容は広範多岐にわたっており、私が在籍した当時(2002-2003)にはDNAコンピューター、タンパク質を利用した超分子、生体分子センサー、自己複製ペプチドなど複数の分野にまたがる学際的なテーマが展開されていた。そのため、化学以外の様々な分野から選りすぐられた学生やPDが在籍する非常にヘテロな環境が形成されており、物理学や医学のバックグラウンドを持つ研究者はもちろんのこと、数学者まで在籍していたのには本当に驚いた。また、他の研究室や研究機関との学術交流に対しても非常に積極的で、学生やPDは必要に応じて、研究遂行上必要な知識や技術をもつ他の研究者や研究室に自由に出入りして、自分の判断で共同研究を立ち上げるという事が当たり前の様に行われていた3。実はこの様な運営方針はGhadiri研だけでなく、スクリプス全体をつらぬく基本方針として組織の隅々に浸透している。学問上の交流を促すため随所に施された有形、無形の工夫には唸らされることが多く、化学以外でも良い勉強をさせてもらった。元来物見高い性格の私はこういう雰囲気に乗じてスクリプス中の研究室に出入りさせてもらったが、全く研究室と関係のない人間が出入りしていても見咎められることはまずなかった。この様な状況は米国でも珍しいらしく、UCアーバインで博士号をとりスクリプスの隣にあるファイザー製薬に勤めていた鎌谷君が遊びに来た時に、部外者が自由に出入りしている様子を見て大変驚いていた。スクリプスの雰囲気はクリックケミストリーに関する論文を見て頂けると理解しやすい。クリックケミストリーとはSharpless教授らによって展開されているアジドとアセチレンの1,3-双極子付加によるトリアゾール生成反応を利用した化学だが、2000年から現在までにスクリプスから出た約60報の関連論文うち40報以上がSharpless教授の名前の無いもの、もしくは名前はあるが主著者でないものであり、有用な学術的知見を軸にした交流を積極的に図ることによって組織を活性化している良い例だと思う。

スクリプスについてもう一点特筆すべきなのは構成人員の約80%が非米国人であるという点である。例えばGhadiri研ではGhadiri教授と技官のAsad氏がイラン出身なのをはじめ、レバノン1人、イスラエル4人、英国2人、スペイン2人、カナダ2人、インド1人、中国1人、日本人1人、米国4人といった具合でまさに「人種のるつぼ」を地でいく構成だった。この様な状況は私の様に島国根性の染み付いた人間にとって本当に良い経験になった。私が留学したのは、おりしもイラク戦争が始まろうという時期だったが、アラブ、ユダヤ、アングロサクソンが同居する研究室では世間の喧騒を他所に和やかな研究室生活が繰り広げられており、国際人としての修行が足りない私を大いに悩ませた。後に、家族ぐるみのお付き合いをすることになったAshkenazy夫妻からイスラエルとイランは昔から関係良好だと聞いて少しは納得したのだが、日本のマスコミ報道で培った常識やイメージがいかにいい加減なものか思い知った。

最後に、1年にわたる長期出張を許可して下さった直田健先生をはじめとする学科の先生方、研究室運営においてご迷惑をおかけした今田泰嗣先生、小宮成義先生ならびに研究室の学生さん達に心より御礼申し上げます。また、滞在中にお世話になった全ての方に感謝致します。

 

1) スクリプス設立の経緯や組織運営についてはJanda研助手の松下正行先生が書かれた「スクリプス研究所の発展の秘密―世界最高の研究所はこうして創られた」, 化学, 59(11), 32 (2004) をご覧下さい。

2) Ghadiri研: http://www.scripps.edu/chem/ghadiri/ 現在改訂中で繋がらない時があります。

3) 日本で言う修士課程の学生さんによる共同研究(Salk研究所)の例: Science, 306, 283 (2004).

 

Janda Labに留学して:伊藤肇

本体験記は近畿化学協会有機金属部会Organometallic Newsに掲載されたものを改変、編集したものです。掲載内容は2002年4月当時のものです。

私は2001年7月から2002年3月までの9ヶ月間、スクリプス研究所(The Scripps Research Institute)のKim D. Janda 教授の下で研究を行いました。スクリプス研究所はアメリカ・カリフォルニア州ラホヤにあります。ラホヤはカリフォルニアの南端に近く、太平洋に面した風光明媚な町で、隣接するサンディエゴとあわせて町全体がまるでリゾートを思わせます。南カリフォルニア全般に言えることかと思いますが、天気は晴れの日が多く毎日さわやかな青空を楽しむことができます。日差しが強いものの、空気がからっとしていて夏でも日陰に入ればとても涼しく快適です。特にラホヤ・サンディエゴは海流の影響からか、夏は涼しく、冬でも暖かく過ごすことができます。それでも一月に屋外のプールで水泳をしている人がいるのには驚きました。スクリプス研究所はラホヤのダウンタウンから北に車で20分ほどの小高い丘の上にあります。すぐ西はゴルフ場をはさんで太平洋を望む絶壁になっています。北には州立公園とビーチがあり、研究所は豊かな自然の中に位置しています。

スクリプス研究所は化学・生物学の分野ではアメリカで最大の私立研究所です。その歴史は1924年に創立されたScripps Metabolic Clinic にさかのぼりますが、今のような姿になったのは1980年代半ばとのことです。現在スクリプス研究所はポスドク800人を抱えており、研究論文の質、量ともに世界でもトップクラスの研究機関であるといえると思います。

Kim D. Janda 教授は、現在所長を務めておられるRichard Larner 博士のスクリプス研究所における最初のポスドクであった人で、有名なcatalytic antibody の最初の発見者の一人です。彼はcatalytic antibodyの研究のほかにも、combinatorial chemistry の分野でも多くの仕事が知られています。私は大学院生時代にKim D. Janda 教授の論文を始めて読み、それ以降彼の仕事に興味を持ち続けていました。特に最近Science誌に発表された論文では、スチルベンとそれに対するantibody の複合体が青色蛍光を持つことが報告されています。これはantibody による有機分子の光機能制御、光反応制御の可能性を示したものです。antibodyや光化学の分野に関しては専門外ではありましたが、この論文からバイオロジーと材料科学の境界で新たな分野が生まれつつある予感を感じることができました。私はそれまで、有機金属を用いた反応開発という分野で研究を行ってきましたが、留学をするなら、その期間は違った分野を経験したいという考えが以前からありました。このScience誌の論文をきっかけにJanda研に行きたい気持ちが強まっていたのですが、今回幸いにも、Janda教授のもとに留学し、このblue-fluorescent antibody に関連した研究に参加させてもらえることができました。

Janda 研究室はprofessor のKim D. Janda先生をはじめassociate professorのPaul Wentworth, Jr博士、Peter Wirsching博士、assistant professorの松下正行博士、Anita D. Wentworth博士ら主要スタッフのほか、ポスドク、テクニシャン、学生を含めると総勢約40人の大所帯です。Janda研に集まっている科学者の7割が化学者で、あとの3割が生物学者です。化学者の中でも、有機合成化学を専門とする人のほかにポリマーやペプチド合成の専門家もおられます。この研究室の特徴はこうした異分野の研究者がミックスすることで新しいアイデア・成果がどんどん出ているところだと思います。またJanda先生のすごいところは、こうした異分野の人材をうまく組み合わせて、効率よくグループを運営しているところだと思います。

研究室でのJanda先生はほぼ毎日研究室に顔を出されています。「顔を出されている」というよりは早足で研究室内をぐるぐると歩き回っているといってよく、歩き回りながら、ポスドクや学生を捕まえては熱心にディスカッションされています。

Janda研での研究発表会は週一回で、熱心なディスカッションが交わされます。これまで全く知らなかった生物関係の話も多く、正直理解できなかったことが多かったのですが、これまで接してきた化学の研究者とは違った考え方に接することができ、自分にとってとてもよい刺激になったと思います。

また、Department of Chemistry の各研究室持ち回りで、月一回研究発表会が開かれます。生き残りをかける各研究者間の競争意識は大変なもので、それを反映してかぴりぴりした雰囲気が伝わってきました。

私の留学期間中にノーベル化学賞を野依先生が受賞されたニュースは、日本人研究者としてうれしいことでした。その上スクリプス研究所のK. B. Sharpless教授が同時受賞されたのは私にとっては二重にうれしい出来事となりました。

私事になりますが、渡米当初は家族を日本に残して一人で暮らしておりました。生活費をいくぶんか節約するため、中国系アメリカ人のお宅に一ヶ月ほど間借りし、そこから研究所まで通いました。その間その家の主人に英会話を直してもらったり、移民としてアメリカで生き残った苦労話をうかがったりしたことはとてもよい経験となりました。

帰国の際、Janda教授から「私は日本人ポスドクにもっと来てもらいたい。給料は出すから、もしこの研究室で研究したい日本人がいれば紹介してほしい」という話をうかがいました。もちろん私が採用の保障をすることはできませんが、Janda研留学を希望される方には、ご連絡くださればお手伝いはできると思います。

今回の留学に当たり、私を送り出してくださった永田央助教授をはじめとして、元の所属先である分子科学研究所の方々には大変お世話になりました。特にJanda先生を紹介してくださった魚住泰広教授には心より感謝しております。また、Janda研の松下正行博士には生活や研究の面で大変お世話になりました。この場を借りてお礼申し上げます。


Simeonov, A.; Matsushita, M.; Juban, E. A.; Thompson, E. H. Z.; Hoffman, T. Z.; Beuscher, A. E.; Taylor, M. J.; Wirsching, P.; Rettig, W.; McCusker, J. K.; Stevens, R. C.; Millar, D. P.; Schultz, P. G.; Lerner, R. A.; Janda, K. D. Science 2000, 290, 307-313.

 

Barbas Labに留学して:小野田晃

本体験記は近畿化学協会有機金属部会Organometallic Newsに掲載されたものを改変、編集したものです。掲載内容は2009年11月当時のものです。

2007年4月からの1年間、スクリプス研究所のCarlos F. Barbas, III 教授の研究室への留学の機会を頂いた。

スクリプス研究所は、米国カリフォルニア州サンディエゴ近郊のラホヤにある。サンディエゴは、温暖な気候と太平洋を臨む美しい海岸に恵まれた都市だ。夏の週末になれば、どのビーチも海水浴、サーフィン、カヌー、サイクリング、シュノーケリング等を楽しむ人達で賑わう。海岸沿いを歩けば、ペリカン、アザラアシらの姿を見ることができる程、自然に溢れた場所であり、アメリカ人にとってもサンディエゴは憧れの都市の一つである。特にラホヤは古くからのリゾートで、UCSD (カリフォルニア大学サンディエゴ校)のお膝元の落ち着いた治安の良いエリアだ。

スクリプス研究所は、医学・生命科学・化学の分野における基礎研究を行う米国最大の non-profit の私立研究機関である。数十年前は、スクリプス病院付属の小さな研究施設であったが、現在は教授陣、ポスドク、学生、技術・事務職員等を含め総勢2800 名が働いており、敷地面積も 9 万 m2 という巨大な研究所に発展している。1 その運営は、教授陣が獲得する NIH 等の政府機関からの研究資金と製薬会社等の民間企業からの資金によってまかなわれており、研究に専念できるすばらしい研究環境は、留学された先生方からの話を聞いて以前から興味があった。

筆者の専門は、錯体化学、生物無機化学であるが、留学先では生命科学と融合したプロジェクトに取り組みたいと考えて、米国の幾つかのラボを候補に考えて連絡をとっていた。最終的に Barbas 研に決めた理由は、PI の Carlos が化学のバックグランドでありながら、抗体触媒、ファージディスプレイ、亜鉛フィンガーに代表される幅広い研究を、生命科学の本質と医薬を意識して、ダイナミックに展開するスタイルに魅力を感じたからだ。

Barbas 研は二十数名で推移しており、そのほとんどはポスドクで、出身国も専門分野も多彩だった。有機触媒の研究を進める chemistry グループと、抗体・亜鉛フィンガーを使った細胞や生物への利用を照準にした biology のグループに分かれて研究を行っており、筆者は希望通りの後者のグループに合流することになった。Barbas 研があるBeckman 棟は、美しい Torrey Pines ゴルフコースに面しており、その先は太平洋というすばらしい立地である上に、筆者はこの絶景を眺望できる 5 階の窓際のデスクを、運良くあてがわれた。“Show time !!”、ポスドク仲間の号令で日よけカーテンを開ければ、眼前には太平洋に沈む大きな夕日。今も鮮明に思い出す光景である。

Carlos と接して強く感じたことは、彼が非常にエレガントで魅力的な研究アイディアを生み出すことができる研究者だということである。ラボのメンバーも、この点の彼の才能を特に尊敬していた。ミーティングの際に、Carlos が広い見識の上にたって、研究を大きくまとめ上げるためのポイントに絞って質問する姿も、大変勉強になった。彼はスクリプス研究所で若くしてポジションを獲得し、研究の展開も精力的だが、温厚な性格だ。普段は、小意気な格好で颯爽と所内を歩いている一方で、教授室は床まで論文の山で溢れていているあたりは、いかにも研究者らしい。部屋に入ると、10 年あるいはさらに先の将来を見据えたプロジェクトを考え出すために、彼が必死であることを感じた。

Barbas 研での筆者の主な研究テーマは、DNA配列に基づいた活性制御が可能なスプリットDNAメチル化酵素を2、実験室進化法によって高活性化して、ほ乳類細胞への応用を目指すことであった。筆者にとっては手探りの分野であったが、このプロジェクトを進めておられた野村渉先生(東京医科歯科大)にお世話になりながら、付け焼き刃で勉強しつつ研究に取り組んだ。専門と違う分子生物学の手法を使って、エピジェネティックス領域の最先端の研究に没頭でき、非常に充実した1年間の留学生活をおくることができた。

留学中で印象に残る出来事の一つは、大手製薬会社が Carlos も参画しているベンチャー企業を買収したことである。サンディエゴは、バイオクラスターと呼ばれる程、アカデミック、民間の研究所やベンチャーが集まるエリアであり、研究所にはベンチャーを立ち上げる PI も多い。ラボのメンバーの話によれば、彼はこの件で驚く程高額な売却益を得たようだ。Carlos は論文だけでなく、特許にも常に注意を払っていたことも、筆者には新鮮だった。実際に基礎研究がベンチから応用へ向けて飛び出す一コマを、間近で垣間見ることができたことは良かった。

気さくで賑やかなラボのメンバーに恵まれたことも幸運だった。一緒に昼食にでかけ、食後は Beckman 棟の吹き抜け部分にあるソファーに集まってのコーヒーブレイク。サイエンス、ビザ、大統領選の喧々諤々の議論から世間話まで、最初は聞き取るのも大変だったが、なんとかカットインしようとするうちに会話力は鍛えられた気がする。すでに大半のメンバーはサンディエゴを去ったが、世界各地の新しい環境で研究していると思うと楽しい。留学期間中に様々な分野の研究者の方と出会ったこと、そして、家族でアメリカを満喫できたことも何よりの財産になった。

最後に、筆者を快くグループに受け入れて下さった Carlos F. Barbas, III 先生にこの場を借りて心から感謝申し上げます。また、留学を支援した下さった東京理科大学の山村剛士先生、そして、お世話になった方々に厚くお礼申し上げます。

2 W. Nomura et al. J. Am. Chem. Soc. 129, 8676-8677。

 

Ghadiri Labに留学して:浦康之

本体験記は近畿化学協会有機金属部会Organometallic Newsに掲載されたものを改変、編集したものです。掲載内容は2008年4月当時のものです。

 

真っ青な空ときらめく海が果てしなく横たわる。眼下にはTorrey Pinesのゴルフコースが海岸に沿って南北に広がり、その上空をカラフルなパラグライダーがゆったりと、気持ち良さそうに舞う。繰り返される美しい日没の光景に暫し心を奪われる―スクリプス研究所化学科棟の西側上階からの眺めである。

筆者は2006年4月より1年9カ月の間、スクリプス研究所に留学の機会を得た。同研究所は米国カリフォルニア州最南端、サンディエゴ近郊のラホヤにある。車でフリーウェイを30分も南に行けばメキシコである。気候は非常に温暖で、春から秋にかけての乾季にはほとんど雨が降らず、まるで南国のリゾート地のようなところである。天気が良いので、筆者はよくロードバイクでUCSD(カリフォルニア大学サンディエゴ校)のキャンパス内を抜けて研究所に通勤していた。

スクリプス研究所は、14の研究棟に、280名以上の教授、800名以上のポスドク、230名ほどの大学院生、および1500名以上の技術・事務職員等を擁する米国最大の私立非営利研究機関である。医学、生物学、化学などの分野を中心とした基礎研究が行われており、Sponsored Research は年間約3億ドル(2007年)にのぼる。各種分析機器等、共同設備も非常に充実しており、研究者にとっては冒頭に述べた周辺環境からの誘惑をのぞけば、研究三昧の生活ができる天国のようなところである。1

 

スクリプス研究所の面白い点の一つは、外部に対する開放性である。筆者は化学科棟に居たが、建物入口にガードマンが常駐しているものの、基本的に誰でも自由に出入りができる。病院とも隣接しており、そちらからも一般人がよくやってくる。ある時には大きな犬を連れて建物内をうろうろしている人までいたぐらいで、研究所としての器の大きさ(?)を感じた。建物内部のデザインも吹き抜け型になっており、開放性の高さを感じるとともに皆が自然と顔を合わせられるような、人の交流を重視したつくりとなっていたのが印象的であった。安全性が保証されるなら、これぐらい開けているのが良いのかもしれない。学際プログラムや共同研究が極めて活発であることと相通じるものがある。

筆者が留学したのはM. Reza Ghadiri先生の研究室である。留学前まで有機金属化学を専門にしていたが、生来の気が多い性質のせいか、せっかくの機会なので他分野の研究に触れようと思い立った。Ghadiri研を選んだのはペプチドナノチューブやペプチドの自己複製、不斉自己触媒などのペプチド化学を中心とする研究の面白さと質の高さに惹かれたからである。また、スクリプス研究所に以前に留学された身近な先生方から、同研究所の環境の素晴らしさを聞かされていたことも大きな理由である。

Rezaは極めて頭が良いうえに完璧主義者である。論文原稿がほとんど出来上がっていても(少なくとも筆者にはそう見えた)、自身が納得するまで絶対に投稿しないため、彼の机の引き出しには未投稿の論文が山のように眠っているようである。だがなかなか投稿しない代わりに、先述したが論文のレベルは非常に高く、文章を一言一句まで練りに練っている。彼が新しいテーマを立ち上げる際には、大きなビジョンはもちろん、具体的にどのような実験を行うべきか、細部に至るまで全てを考慮する。彼の頭の中では、完成されたストーリーが実験を始める前から出来上がっているような印象を受けた。そして実験を始めて困難に直面しても、何とか克服してついには最初に描いたストーリーに沿った形に仕上げる力強さを感じた。

筆者が初めて対面したとき、「君が頭のなかでどんなことを考えているかに興味がある」とRezaは言っていた。その人独自のアイディアを聞くことが好きなのである。彼自身、広範な知識を基に豊富なアイディアを持っており、実験室のホワイトボードの前で研究室のメンバーとよくディスカッションして、そのアイディアを披露していた。たまにはこちらも負けじとこんなのはどうかと提案すると、すぐに閃いて洗練されたものにして切り返してくるといった具合であった。話していて本当にサイエンスが好きなことが良く分かる、根っからの研究者である。日頃はジョークを交えながら、皆をよく笑わせているような方である。

研究室のメンバーは大体15から20名で推移していた。院生はほとんどがアメリカ人だが、教授がイラン人なのをはじめ、院生の倍近い人数のポスドクはすべて外国人であり、世界各国から集まっていた。筆者が留学した際には研究室に山崎龍先生(東京理科大)が在籍されており、特に初期の頃にはセットアップで大変お世話になった。研究室の皆はとても親切で、毎週研究室でビールを飲んだり、また近くのバーに飲みにいったりしていた。

筆者のGhadiri研での研究テーマは生物が出現する以前の化学(prebiotic chemistry)に関するもので、この研究を通じた交流として特に印象に残っているのが、近くにおられた同分野の大御所であるAlbert Eschenmoser先生 (スクリプス研究所) やLeslie Orgel 先生(ソーク研究所)とのディスカッションである。Rezaがこれらの先生を教授室に招いて、筆者らの実験結果についてあれこれと議論を交わすのだが、お二人ともかなりお年を召されていたにもかかわらず頭は素晴らしく冴えており、多くの有意義なコメントを頂いた。特にOrgel先生には定期的にディスカッションをしていただき、的確なアドバイスを毎回もらい、研究を進めるにあたり非常に参考になった。まさにバイオ系の研究所が集まるクラスターとしての地の利を感じた次第である(残念なことにOrgel先生は昨秋にご逝去された。ご冥福をお祈りする)。

最後になりましたが、筆者を快く受け入れて下さったM. Reza Ghadiri先生にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。また筆者の留学を全面的にご支援下さいました京都大学工学研究科の光藤武明先生(現在は名誉教授)、近藤輝幸先生、和田健司先生、ならびに多くの方々に大変感謝致します。

 

1 スクリプス研究所およびGhadiri研究室については、高谷光先生(京大)をはじめ、以前に留学された方々の優れた紹介記事があるのでそちらもご参照いただきたい。

 

 

Baran Labに留学して:山口潤一郎

本体験記は近畿化学協会有機金属部会Organometallic Newsに掲載されたものを改変、編集したものです。掲載内容は2009年2月当時のものです。

「Jun、お前palau’ amineを作らないか?」

数分の雑談の後、初めてのBaran教授とのミーティングはここから始まり、米国での研究がスタートした。2007年4月、博士を取得したばかりの私は、博士研究員として米国カリフォルニア州サンディエゴにあるスクリプス研究所化学科Phil S. Baran研究室に留学した。

Baran教授は当時associate professorとなったばかりの若干29歳、新進気鋭の合成化学者である。2多数の複雑な天然有機化合物をいとも簡単に短段階かつ斬新なルートで合成し、Robert Woodwardの再来ともいわれている。

さて話をもとに戻すと、文頭にあげたpalau’ amineは多くの著名な有機合成化学者が長い間合成研究を行っているが、いまだ難攻不落の天然物である。2年で合成できるのかという気持ちと、攻略したいという好奇心、最終的にはうまい言い訳を英語でいうことができず、二つ返事でOKした。さらにはこのチームリーダーになってくれと言われ研究が始まった。また、Philが言ったのか、はじめから研究室の皆が私の名前を知っていて期待されているのであろうと高揚した。博士課在籍時に短期間であるが、同研究所のK.C. Nicolaou研究室に在籍していたこともあり、2日で生活のセットアップを終え、3日目から全力で研究に取りかかった。しかし、現実は違った。チームは当時、私を含めて5名もおり、全くではないものの異なるルートで全合成を目指していたのである。さらに、1週間に数度のPhilとのミーティングの以外に、私だけここから3ヶ月弱彼と化学について直接話すことは全くと言っていいほどなかった。これには大変こたえた。

ただ、palau’ amineを攻略したいという気持ちだけが、研究へのモチベーションであった。

Baran研究室は、各々十数名が研究可能な2つの部屋が東西にあり、私は西部屋で研究を行っていた(Philは東部屋にオフィスがある)。ポスドクと学生の数はほぼ同数でうまく2つの部屋に振り分けられていた。東部屋は夜型であり、西部屋は朝型で、寝坊して朝9時に来ると必ず最後で皆すでにバリバリと実験を行っていた。ただ、夜9時を過ぎるとほとんど誰もいなかった。研究は新規かつ効率的合成戦略をベースとした天然物合成研究と反応開発であり、ポスドクや学生が1人のテーマもあれば、私のように2〜5人をかけてでも一刻も早く合成したいというテーマもあった。とはいってもその合成手法はほぼ自由であり、Philとの綿密なディスカッションで大枠を設定し、随時修正していく。まさに合成計画能力と合成化学の実力が問われる研究室である。研究報告会はなく、全体の詳細はPhilのみが知っている。ただ、「夕食付き」の研究セミナーが週1度あり、非常に高度の内容の合成化学のレビューを学生、ポスドクが作成し2〜3時間かけて発表、討論する。レベルが高く、英語を聞き取るだけで精一杯であったが大変鍛えられた。皆非常に仲が良かったので、常に一緒に食事や飲みにいったり、研究のディスカッションからくだらない話まで楽しむことができた。

夏が過ぎ(とはいってもサンディエゴは常に夏と変わりがないが)、ようやく結果が出始め、自分で設定していた鍵化合物へと辿り着いた。ここから米国の研究者、Philの研究に対する「熱意」を、身をもって体験することになった。それまでほとんど来なかった彼が1日3回、4回、5回と訪れ進行状況を聞きに来るようになったのだ。その後の合成ルートがうまく行きゴールが見え始めた頃には、最高1日20回を超えた。俺も反応を仕込む!と白衣を着て現れたこともあった。試薬を滴下するところを真剣な眼差しで直視する彼はまさに実験大好きな好奇心旺盛な子供に思えた。

ここからの数ヶ月は休みなく、魅力的なサンディエゴの気候に心を奪われそうになりながら合成研究に没頭した。食事はTLCを展開している間、家にも週に2,3回しか帰らず、Philのカウチで仮眠しながら実験を行った。それが伝わったのか、チームメンバーも怒濤の勢いで研究するようになり、化学でも皆一丸となった。最終的に10ヶ月ほどでpalau’amineの構造類縁体axinellamineの全合成を報告できた。これはチーム皆の努力の賜物であり、最終生成物のNMRを確認した際はPhilと皆で大声を挙げて喜び合い、祝杯をあげた。また、この全合成を彼の教授昇進公開講演会のハイライトとして挙げられたときは大変に嬉しかった。ノートに記載したもので1200ほどの実験を行ったが、それ以後の3ヶ月は90程度で、将来の研究方針を決めることに時間を割くことができた。また、人並みにカリフォルニア州や米国を満喫した。その後、現所属である伊丹健一郎教授(名大)と一緒に研究できる機会を得たため、残念ながら「palau’ amineプロジェクト」はプロローグと第一章のみで、約1年3ヶ月の滞在となったが、Philは困った顔をしたものの、とても喜んでくれた。彼には化学さることながら、個人的に何度かディナーに連れていってくれたり、将来について話し、親身になって聞いてくれた。化学に熱く、厳しく、そして普段は本当に気さくで優しい彼は、1歳しか年がかわらない私にとってまさに憧れの兄貴のような存在であった。

Baran研究室の生活は非常にエキサイティングであったが、その他にもスクリプス研究所では多数の優秀な学生、研究者と出会う経験を得た。日本人コミュニティーも充実していて、多くの優秀な「同期」と交流できたのもここで得た財産である。3是非、海外留学を検討している方々に、ここでの研究をお薦めしたい。

最後にこの留学に関してご助言をいただいた恩師である林雄二郎教授(東理大)、庄司満助手(現東北大講師)に心より厚く御礼申しあげます。また、この留学は日本学術振興会海外特別研究員として行われたものであり、この場を借りて御礼申し上げます。

1 最近では、滝澤忍、Organometallic News, 2008, 110-111. 等

2詳細な研究は Baran, P. S et al, Acc. Chem. Res. 2009, ASAP. (DOI: 10.1021/ar800182r)を参照。

3 スクリプス研究所に在籍した日本人の企業、大学研究者の会「日本スクリプス会」があり、活発な交流が行われている。