Rebek Labに留学して:山中正道

  • スクリプス研究所とは

私が見て感じたスクリプス研究所(The Scripps Research Institute, 以下TSRI)は,“一流の研究者に最高の研究環境を提供する研究所” である.  あるとき,留学中のボスであったJulius Rebek, Jr. 教授に「どうしてTSRI に移ってきたのですか?」と,1996 年に前任地であるボストンのマサチューセッツ工科大学よりTSRI に赴任してきた理由を尋ねたところ,「それは,冬も寒くないからさ」と冗談とも本気とも取れるようなコメントのあと,こんな答えが返ってきた.「会議や教育への負担が少ないうえ,研究費の工面に悩まされることなく,自分の研究に専念できる環境だからだよ」と(Rebek 教授はスカッグス財団より研究費を支援されている).そして,「自分のやりたい研究に多くの時間を割くことができる今の環境にたいへん満足している」ともいっていた.  事実,私がTSRI に在籍しているあいだ,Rebek 教授はあれだけ著名な先生であるにもかかわらず,1 日の大半の時ビティーの特色を生かし,多くの興味深い物理有機化学的間を教授室で自分自身の研究のために費やしていた.講義や会議で忙しい日本の大学の先生とはずいぶん違っている.

  • レベック研でできること

研究テーマ

現在、レベック研では、水素結合を介した超分子カプセルの研究が主力になっている.Rebek 教授はこの分野のパイオニアで,研究の端緒はマサチューセッツ工科大学在任中の1993 年に発表したテニスボール型カプセルにまで遡る.そのあとも,ソフトボール型カプセル,シリンダーテーマの設定はかなり自由度が高く,研究室の流れに則したものであれば,自らの発案で比較的容易にプロジェクトを始めることができる.多くの人は常時2 個以上の研究テーマを並行して進めていて,テーマに応じてチームを組んだり, 個人で進めたりする.そのチーム編成についてもRebek 教授が指示することは少なく,ほとんどは各人の判断によって行われる.  幸い,私の場合はほかの博士研究員との共同研究,大学院の学生との共同研究,そして単独での研究を体験することができた.それらには,それぞれに違った面白さがあり,よい経験となった.

最近の成果

ここ数年は、1998年にはじめて報告したシリンダー型カプセル〔Nature, 394, 764(1998)〕に関連した研究がカプセル研究の中心となっていた.多くの超分子カプセルのキャビティー(カプセルの中空)が球状であるのに対して,このカプセルのキャビティーは円筒状で細長い(約420Å3).そのため,このキャビティーに包接された(閉じ込められた)ゲスト分子の運動は規制される.このシリンダー型カプセルによって提供される特異なキャビティーの特色を生かし、多くの興味深い物理有機化学的現象が観察されている。たとえば,キャビティーの不斉認識場としての利用J. Am. Chem. Soc., 125, 13981( 2003)〕や,ゲスト分子の配向や配置に起因するこれまでに例のない異性体の観測〔J. Am. Chem. Soc., 125, 6239( 2003), Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 101, 2669( 2004)〕などがあげられる.もう一つの研究の柱は機能性キャビタンドに関する研究で水溶性のキャビタンドによる分子認識〔Angew. Chem., Int. Ed., 42, 3150( 2003)〕や,官能基化されたキャビタンド内での化学反応の加速〔J. Am. Chem. Soc., 125, 14682 ( 2003)〕といった成果を報告している.

実験環境

大学院生や博士研究員には、ドラフトと実験台、そしてデスクワークをするスペースが与えられる.渡米当初, 日本の狭い実験スペースに慣れていた私にとってはなんとも贅沢な広さであった.エバポレーターやHPLC などの機器は研究室内で共通で使用している.  レベック研での研究において最も使用頻度の高いNMR に関しては, 600MHz( Bruker)の装置を1 日中ほぼ自由に使うことができる.また,特殊な測定を行う場合には,専門の技官が親切にサポートしてくれる.

 

ゼミ

レベック研の研究報告会は年に4回、学会形式で行われる. Rebek 教授の都合に合わせて報告会の開催日が決められ,大学院生,博士研究員はそれぞれの研究成果を約20 分で口頭発表する.また年に2 回,研究の進行状況を冊子にまとめた「Progress Report」の提出が求められる. 論文紹介のゼミは,大学院生と博士研究員のみで週に1回のペースで行っている.また,とくに博士研究員の場合はRebek 教授のほうから研究の進行状況を尋ねてくることが稀なので,研究の進行状況についてディスカッションしたいときには自分から教授室を訪ねて行く必要がある.その頻度は人によって異なるが, Rebek 教授は忙しいときでも非常にていねいに応対してくれて,いつも的確な助言を与えてくれる.そのため,私は好ましい結果がでたときばかりではなく,研究が煮詰まったときも,かなりの頻度で教授室へ押しかけていた.

 

レベック研で合成されたカプセル

a)テニスボール型カプセル.メタンなど分子サイズの小さなゲストを包接する. b)ソフトボール型カプセル.複数のゲストの包接も可能で,化学反応の加速効果も発見された. c)シリンダー型カプセル. 細長いキャビティーをもつため,包接されたゲストの分子運動を規制することができる.

 

 

Ghadiri Labに留学して:高谷光

本体験記は近畿化学協会有機金属部会Organometallic Newsに掲載されたものを改変、編集したものです。掲載内容は2004年当時のものです。

スクリプス研究所はカリフォルニア州サンディエゴ近郊にある米国最大の私立研究機関である。もともとは医学、薬学、生化学分野における基礎研究を行う機関として設立されたため、有機化学や有機金属分野ではそれほど名前の知られた研究機関ではなかった。しかし、1987年に研究所理事になったR. A. Lerner 教授によって化学分野の積極的な拡張と増強が行われ、ここ10年程の間にJACS誌やAngew Chem誌等でThe Scripps Research Instituteの名前を見かける機会が一気に増え、そのため最近では基礎化学分野における優れた研究機関の一つと数えられるようになった。スクリプス研究所の名前を知らない方でもK. B. Sharpless, K. C. Nicolaou, J. Rebek Jr., D. Boger, C. H. Wong, A. Eschenmoser, P. Schultz, K. Wuthrichといった化学者の名前をご存知と思うが、彼らはLerner教授の戦略のもとにスクリプスの化学科に集められた教授達である1

私はタンパク質や酵素に興味を持っていたので学生時代からLerner教授やSchultz教授らの触媒抗体に関する論文を読んでは夢を膨らませていた。また、近化でお世話になっている諸先生方からもスクリプスの話しを伺う機会があり、留学先としてごく自然にスクリプスを選んだ。前述の様にスクリプスはもともと医学、生物学主体の研究機関であるため、生体由来のタンパク質やペプチドを扱う研究室が多い。しかし、私は化学的な手法で天然に無い新しいペプチドを合成するということに強いこだわりがあったので、DLアミノ酸からなる環状ペプチドを自己集合させたペプチドナノチューブの研究をしているReza M. Ghadiri教授2にコンタクトをとって席を作ってもらった。留学の細かい経緯などは紙数の都合上ここでは省くが、スクリプスの教授陣は一般に親日家が多いので、留学を考えている方は何はともあれお目当ての先生に直接メールを書いてコンタクトをとることをお勧めする(日本からのメールはきちんと見ている人が多い)。非常にリッチな研究室が多く、金銭的な事も頼めば何とかなる場合がほとんどである。

Ghadiri教授はTrost教授(当時ウィスコンシン大学)の下で博士号をとった後にヘリックスバンドルで有名なKaiser教授(ロックフェラー大学)の研究室でポスドクをされた経歴の持ち主であり、生化学やタンパク質科学だけでなく有機化学や有機金属化学にも造詣が深く、ディスカッションする度にその知識の豊富さと勉強量のすごさに圧倒された。教授は研究上の独創性や自主性を大変重んじる方で「独立独歩の気風みなぎる緻密な完璧主義者」というのが1年間お世話になった印象である。論文作成に対するこだわりはスクリプスの中でも随一で、minor revision で採択可と返ってきた投稿論文の実験を納得いくまでやり直し、半年後、1年後に再投稿することも珍しくない。このあたりはGhadiri教授が書かれた論文のイントロなどを見て頂けるとよくわかると思う。特に印象に残っているのは、ディスカッションの後に指示された事を無思考にそのまま実行に移そうとした時に、もっと考えて自分のアイデアでやりなさいとお叱りを受けたことで、その際「I don’t like robots.」と言われた事を今でもよく思い出す。

Ghadiri研はNature誌の表紙にもなったペプチドナノチューブでよく知られた研究室であるが、その研究内容は広範多岐にわたっており、私が在籍した当時(2002-2003)にはDNAコンピューター、タンパク質を利用した超分子、生体分子センサー、自己複製ペプチドなど複数の分野にまたがる学際的なテーマが展開されていた。そのため、化学以外の様々な分野から選りすぐられた学生やPDが在籍する非常にヘテロな環境が形成されており、物理学や医学のバックグラウンドを持つ研究者はもちろんのこと、数学者まで在籍していたのには本当に驚いた。また、他の研究室や研究機関との学術交流に対しても非常に積極的で、学生やPDは必要に応じて、研究遂行上必要な知識や技術をもつ他の研究者や研究室に自由に出入りして、自分の判断で共同研究を立ち上げるという事が当たり前の様に行われていた3。実はこの様な運営方針はGhadiri研だけでなく、スクリプス全体をつらぬく基本方針として組織の隅々に浸透している。学問上の交流を促すため随所に施された有形、無形の工夫には唸らされることが多く、化学以外でも良い勉強をさせてもらった。元来物見高い性格の私はこういう雰囲気に乗じてスクリプス中の研究室に出入りさせてもらったが、全く研究室と関係のない人間が出入りしていても見咎められることはまずなかった。この様な状況は米国でも珍しいらしく、UCアーバインで博士号をとりスクリプスの隣にあるファイザー製薬に勤めていた鎌谷君が遊びに来た時に、部外者が自由に出入りしている様子を見て大変驚いていた。スクリプスの雰囲気はクリックケミストリーに関する論文を見て頂けると理解しやすい。クリックケミストリーとはSharpless教授らによって展開されているアジドとアセチレンの1,3-双極子付加によるトリアゾール生成反応を利用した化学だが、2000年から現在までにスクリプスから出た約60報の関連論文うち40報以上がSharpless教授の名前の無いもの、もしくは名前はあるが主著者でないものであり、有用な学術的知見を軸にした交流を積極的に図ることによって組織を活性化している良い例だと思う。

スクリプスについてもう一点特筆すべきなのは構成人員の約80%が非米国人であるという点である。例えばGhadiri研ではGhadiri教授と技官のAsad氏がイラン出身なのをはじめ、レバノン1人、イスラエル4人、英国2人、スペイン2人、カナダ2人、インド1人、中国1人、日本人1人、米国4人といった具合でまさに「人種のるつぼ」を地でいく構成だった。この様な状況は私の様に島国根性の染み付いた人間にとって本当に良い経験になった。私が留学したのは、おりしもイラク戦争が始まろうという時期だったが、アラブ、ユダヤ、アングロサクソンが同居する研究室では世間の喧騒を他所に和やかな研究室生活が繰り広げられており、国際人としての修行が足りない私を大いに悩ませた。後に、家族ぐるみのお付き合いをすることになったAshkenazy夫妻からイスラエルとイランは昔から関係良好だと聞いて少しは納得したのだが、日本のマスコミ報道で培った常識やイメージがいかにいい加減なものか思い知った。

最後に、1年にわたる長期出張を許可して下さった直田健先生をはじめとする学科の先生方、研究室運営においてご迷惑をおかけした今田泰嗣先生、小宮成義先生ならびに研究室の学生さん達に心より御礼申し上げます。また、滞在中にお世話になった全ての方に感謝致します。

 

1) スクリプス設立の経緯や組織運営についてはJanda研助手の松下正行先生が書かれた「スクリプス研究所の発展の秘密―世界最高の研究所はこうして創られた」, 化学, 59(11), 32 (2004) をご覧下さい。

2) Ghadiri研: http://www.scripps.edu/chem/ghadiri/ 現在改訂中で繋がらない時があります。

3) 日本で言う修士課程の学生さんによる共同研究(Salk研究所)の例: Science, 306, 283 (2004).

 

Janda Labに留学して:伊藤肇

本体験記は近畿化学協会有機金属部会Organometallic Newsに掲載されたものを改変、編集したものです。掲載内容は2002年4月当時のものです。

私は2001年7月から2002年3月までの9ヶ月間、スクリプス研究所(The Scripps Research Institute)のKim D. Janda 教授の下で研究を行いました。スクリプス研究所はアメリカ・カリフォルニア州ラホヤにあります。ラホヤはカリフォルニアの南端に近く、太平洋に面した風光明媚な町で、隣接するサンディエゴとあわせて町全体がまるでリゾートを思わせます。南カリフォルニア全般に言えることかと思いますが、天気は晴れの日が多く毎日さわやかな青空を楽しむことができます。日差しが強いものの、空気がからっとしていて夏でも日陰に入ればとても涼しく快適です。特にラホヤ・サンディエゴは海流の影響からか、夏は涼しく、冬でも暖かく過ごすことができます。それでも一月に屋外のプールで水泳をしている人がいるのには驚きました。スクリプス研究所はラホヤのダウンタウンから北に車で20分ほどの小高い丘の上にあります。すぐ西はゴルフ場をはさんで太平洋を望む絶壁になっています。北には州立公園とビーチがあり、研究所は豊かな自然の中に位置しています。

スクリプス研究所は化学・生物学の分野ではアメリカで最大の私立研究所です。その歴史は1924年に創立されたScripps Metabolic Clinic にさかのぼりますが、今のような姿になったのは1980年代半ばとのことです。現在スクリプス研究所はポスドク800人を抱えており、研究論文の質、量ともに世界でもトップクラスの研究機関であるといえると思います。

Kim D. Janda 教授は、現在所長を務めておられるRichard Larner 博士のスクリプス研究所における最初のポスドクであった人で、有名なcatalytic antibody の最初の発見者の一人です。彼はcatalytic antibodyの研究のほかにも、combinatorial chemistry の分野でも多くの仕事が知られています。私は大学院生時代にKim D. Janda 教授の論文を始めて読み、それ以降彼の仕事に興味を持ち続けていました。特に最近Science誌に発表された論文では、スチルベンとそれに対するantibody の複合体が青色蛍光を持つことが報告されています。これはantibody による有機分子の光機能制御、光反応制御の可能性を示したものです。antibodyや光化学の分野に関しては専門外ではありましたが、この論文からバイオロジーと材料科学の境界で新たな分野が生まれつつある予感を感じることができました。私はそれまで、有機金属を用いた反応開発という分野で研究を行ってきましたが、留学をするなら、その期間は違った分野を経験したいという考えが以前からありました。このScience誌の論文をきっかけにJanda研に行きたい気持ちが強まっていたのですが、今回幸いにも、Janda教授のもとに留学し、このblue-fluorescent antibody に関連した研究に参加させてもらえることができました。

Janda 研究室はprofessor のKim D. Janda先生をはじめassociate professorのPaul Wentworth, Jr博士、Peter Wirsching博士、assistant professorの松下正行博士、Anita D. Wentworth博士ら主要スタッフのほか、ポスドク、テクニシャン、学生を含めると総勢約40人の大所帯です。Janda研に集まっている科学者の7割が化学者で、あとの3割が生物学者です。化学者の中でも、有機合成化学を専門とする人のほかにポリマーやペプチド合成の専門家もおられます。この研究室の特徴はこうした異分野の研究者がミックスすることで新しいアイデア・成果がどんどん出ているところだと思います。またJanda先生のすごいところは、こうした異分野の人材をうまく組み合わせて、効率よくグループを運営しているところだと思います。

研究室でのJanda先生はほぼ毎日研究室に顔を出されています。「顔を出されている」というよりは早足で研究室内をぐるぐると歩き回っているといってよく、歩き回りながら、ポスドクや学生を捕まえては熱心にディスカッションされています。

Janda研での研究発表会は週一回で、熱心なディスカッションが交わされます。これまで全く知らなかった生物関係の話も多く、正直理解できなかったことが多かったのですが、これまで接してきた化学の研究者とは違った考え方に接することができ、自分にとってとてもよい刺激になったと思います。

また、Department of Chemistry の各研究室持ち回りで、月一回研究発表会が開かれます。生き残りをかける各研究者間の競争意識は大変なもので、それを反映してかぴりぴりした雰囲気が伝わってきました。

私の留学期間中にノーベル化学賞を野依先生が受賞されたニュースは、日本人研究者としてうれしいことでした。その上スクリプス研究所のK. B. Sharpless教授が同時受賞されたのは私にとっては二重にうれしい出来事となりました。

私事になりますが、渡米当初は家族を日本に残して一人で暮らしておりました。生活費をいくぶんか節約するため、中国系アメリカ人のお宅に一ヶ月ほど間借りし、そこから研究所まで通いました。その間その家の主人に英会話を直してもらったり、移民としてアメリカで生き残った苦労話をうかがったりしたことはとてもよい経験となりました。

帰国の際、Janda教授から「私は日本人ポスドクにもっと来てもらいたい。給料は出すから、もしこの研究室で研究したい日本人がいれば紹介してほしい」という話をうかがいました。もちろん私が採用の保障をすることはできませんが、Janda研留学を希望される方には、ご連絡くださればお手伝いはできると思います。

今回の留学に当たり、私を送り出してくださった永田央助教授をはじめとして、元の所属先である分子科学研究所の方々には大変お世話になりました。特にJanda先生を紹介してくださった魚住泰広教授には心より感謝しております。また、Janda研の松下正行博士には生活や研究の面で大変お世話になりました。この場を借りてお礼申し上げます。


Simeonov, A.; Matsushita, M.; Juban, E. A.; Thompson, E. H. Z.; Hoffman, T. Z.; Beuscher, A. E.; Taylor, M. J.; Wirsching, P.; Rettig, W.; McCusker, J. K.; Stevens, R. C.; Millar, D. P.; Schultz, P. G.; Lerner, R. A.; Janda, K. D. Science 2000, 290, 307-313.