Janda Labに留学して:伊藤肇

本体験記は近畿化学協会有機金属部会Organometallic Newsに掲載されたものを改変、編集したものです。掲載内容は2002年4月当時のものです。

私は2001年7月から2002年3月までの9ヶ月間、スクリプス研究所(The Scripps Research Institute)のKim D. Janda 教授の下で研究を行いました。スクリプス研究所はアメリカ・カリフォルニア州ラホヤにあります。ラホヤはカリフォルニアの南端に近く、太平洋に面した風光明媚な町で、隣接するサンディエゴとあわせて町全体がまるでリゾートを思わせます。南カリフォルニア全般に言えることかと思いますが、天気は晴れの日が多く毎日さわやかな青空を楽しむことができます。日差しが強いものの、空気がからっとしていて夏でも日陰に入ればとても涼しく快適です。特にラホヤ・サンディエゴは海流の影響からか、夏は涼しく、冬でも暖かく過ごすことができます。それでも一月に屋外のプールで水泳をしている人がいるのには驚きました。スクリプス研究所はラホヤのダウンタウンから北に車で20分ほどの小高い丘の上にあります。すぐ西はゴルフ場をはさんで太平洋を望む絶壁になっています。北には州立公園とビーチがあり、研究所は豊かな自然の中に位置しています。

スクリプス研究所は化学・生物学の分野ではアメリカで最大の私立研究所です。その歴史は1924年に創立されたScripps Metabolic Clinic にさかのぼりますが、今のような姿になったのは1980年代半ばとのことです。現在スクリプス研究所はポスドク800人を抱えており、研究論文の質、量ともに世界でもトップクラスの研究機関であるといえると思います。

Kim D. Janda 教授は、現在所長を務めておられるRichard Larner 博士のスクリプス研究所における最初のポスドクであった人で、有名なcatalytic antibody の最初の発見者の一人です。彼はcatalytic antibodyの研究のほかにも、combinatorial chemistry の分野でも多くの仕事が知られています。私は大学院生時代にKim D. Janda 教授の論文を始めて読み、それ以降彼の仕事に興味を持ち続けていました。特に最近Science誌に発表された論文では、スチルベンとそれに対するantibody の複合体が青色蛍光を持つことが報告されています。これはantibody による有機分子の光機能制御、光反応制御の可能性を示したものです。antibodyや光化学の分野に関しては専門外ではありましたが、この論文からバイオロジーと材料科学の境界で新たな分野が生まれつつある予感を感じることができました。私はそれまで、有機金属を用いた反応開発という分野で研究を行ってきましたが、留学をするなら、その期間は違った分野を経験したいという考えが以前からありました。このScience誌の論文をきっかけにJanda研に行きたい気持ちが強まっていたのですが、今回幸いにも、Janda教授のもとに留学し、このblue-fluorescent antibody に関連した研究に参加させてもらえることができました。

Janda 研究室はprofessor のKim D. Janda先生をはじめassociate professorのPaul Wentworth, Jr博士、Peter Wirsching博士、assistant professorの松下正行博士、Anita D. Wentworth博士ら主要スタッフのほか、ポスドク、テクニシャン、学生を含めると総勢約40人の大所帯です。Janda研に集まっている科学者の7割が化学者で、あとの3割が生物学者です。化学者の中でも、有機合成化学を専門とする人のほかにポリマーやペプチド合成の専門家もおられます。この研究室の特徴はこうした異分野の研究者がミックスすることで新しいアイデア・成果がどんどん出ているところだと思います。またJanda先生のすごいところは、こうした異分野の人材をうまく組み合わせて、効率よくグループを運営しているところだと思います。

研究室でのJanda先生はほぼ毎日研究室に顔を出されています。「顔を出されている」というよりは早足で研究室内をぐるぐると歩き回っているといってよく、歩き回りながら、ポスドクや学生を捕まえては熱心にディスカッションされています。

Janda研での研究発表会は週一回で、熱心なディスカッションが交わされます。これまで全く知らなかった生物関係の話も多く、正直理解できなかったことが多かったのですが、これまで接してきた化学の研究者とは違った考え方に接することができ、自分にとってとてもよい刺激になったと思います。

また、Department of Chemistry の各研究室持ち回りで、月一回研究発表会が開かれます。生き残りをかける各研究者間の競争意識は大変なもので、それを反映してかぴりぴりした雰囲気が伝わってきました。

私の留学期間中にノーベル化学賞を野依先生が受賞されたニュースは、日本人研究者としてうれしいことでした。その上スクリプス研究所のK. B. Sharpless教授が同時受賞されたのは私にとっては二重にうれしい出来事となりました。

私事になりますが、渡米当初は家族を日本に残して一人で暮らしておりました。生活費をいくぶんか節約するため、中国系アメリカ人のお宅に一ヶ月ほど間借りし、そこから研究所まで通いました。その間その家の主人に英会話を直してもらったり、移民としてアメリカで生き残った苦労話をうかがったりしたことはとてもよい経験となりました。

帰国の際、Janda教授から「私は日本人ポスドクにもっと来てもらいたい。給料は出すから、もしこの研究室で研究したい日本人がいれば紹介してほしい」という話をうかがいました。もちろん私が採用の保障をすることはできませんが、Janda研留学を希望される方には、ご連絡くださればお手伝いはできると思います。

今回の留学に当たり、私を送り出してくださった永田央助教授をはじめとして、元の所属先である分子科学研究所の方々には大変お世話になりました。特にJanda先生を紹介してくださった魚住泰広教授には心より感謝しております。また、Janda研の松下正行博士には生活や研究の面で大変お世話になりました。この場を借りてお礼申し上げます。


Simeonov, A.; Matsushita, M.; Juban, E. A.; Thompson, E. H. Z.; Hoffman, T. Z.; Beuscher, A. E.; Taylor, M. J.; Wirsching, P.; Rettig, W.; McCusker, J. K.; Stevens, R. C.; Millar, D. P.; Schultz, P. G.; Lerner, R. A.; Janda, K. D. Science 2000, 290, 307-313.