Fokin Labに留学して:岩崎真之

 

2009 年 4 月から 2010 年 3 月までの一年間,米国カリフォルニア州サンディエゴにあるスクリプス研究所 (The Scripps Research Institute) の Valery V. Fokin 先生の研究室に留学する機会を得ました。

サンディエゴは,アメリカ西海岸の最南端,メキシコとの国境沿いに位置しています。一年中温暖で雨が少なく 4 月から 10 月には晴天が続きます。全米で最も気候のいい街と言われています。治安もいいため,住みたい街 Top 5 に毎年選ばれています。太平洋に臨む風光明媚な場所で,盛んなスポーツはサーフィンとゴルフです。スクリプス研究所は,そのサンディエゴの近郊のラ・ホヤ (La Jolla) の研究施設のコンプレックスの一角を占めている。スクリプス研究所は,改めて言うまでもないが,世界トップクラスの有機化学者が集まる研究施設である。例を挙げるときりがないが,有機合成化学の分野では,P. S. Baran, C. F. Barbas III, D. L. Boger, M. G. Finn, K. D. Janda, K. C. Nicolaou, J. Rebek Jr., K. B. Sharpless, J.-Q. Yu らの活躍が近年目立っている。

筆者の Principal Investigator である Fokin 先生は新進気鋭の若手研究者であり,クリックケミストリーを用いた反応開発やトリアゾールの変換反応について精力的に研究している。ラボはシャープレス先生と同じ部屋を使っていて,Sharpless-Fokin 研と呼ばれていた。私が留学した当時は,ラボは 20 人くらいの規模で多すぎず少なすぎず,ちょうどいい数の人間がいました。驚くことにその 20 人が 20 人ともクリックケミストリーに関わる研究をしていました。ある人は,トリアゾールの開環を鍵とした新反応の開発,ある人は,クリックケミストリーを利用した生理活性物質の合成など,様々な研究が活発に行われていました。

まず驚いたことは,研究室の構成メンバーがほとんどポスドクであるということである。筆者が研究室に入った時には博士課程の学生はわずか一人であった。スクリプス研究所には大学院も併設されており,大学院生も多く研究しているものの,日本の研究室では学生が主戦力となるという文化しか知らない筆者にとっては驚きであった。またその顔ぶれは非常に多国籍でした。ロシア,イギリス,インド,ドイツ,オランダ,中国,イタリア,オーストラリアなど様々な国からポスドクが来ていました。むしろアメリカ人は少数派です。そのせいもあってか,英語が下手でもみんな聞いてくれるのはありがたかったです。

お昼休みには研究室のメンバーで化学棟と病院の間にある中庭のコーヒーショップで雑談するのが日課であった。年中快晴の天気を忘れられない。 Sharpless 研に行かれた方はご存知かと思いますが, Fokin 研でも研究室内外国語禁止令があります。このおかげで日本人がたくさんいるスクリプスでも英語に親しむことができたのではないかと思います。

スクリプスの裏には世界的に有名なゴルフ場 (Torrey Pines Golf Course) があり,遼くんや藍ちゃんがやってくる。また,毎年タイガーウッズが来るが,その年は彼の事情でプレイすることができず,見られなかったのが残念である。

ハッピーアワーのこと。スクリプス研究所には学生から成る組織があって,そこで学生が注目している化学者を招待して講演してもらったり,週末にはお酒とピザを振る舞ったりしている。この機会に普段はあまり交流のない研究室の方とも話す機会があったのは,スクリプスならではの良い習慣だと思います。このようなことがあるため,共同研究などが盛んに行われているのだと思います。

一度,Sharpless 先生のお宅にお邪魔する機会がありました。18:00 にそれぞれの国の料理を持参して家に来るように言われました。Sharpless 先生のお宅は,美しい海岸がたくさんあるサンディエゴの中でも最も美しいと言われる La Jolla Shore が見渡せる閑静な住宅街の一角にあります。私は,妻に作ってもらった日本食をもって,集合時間の 10 分前に到着しました。しかし,辺りを見回しても誰一人いません。筆者はドキドキしながら待っていましたが,様子がおかしい。時刻はパーティーが始まる時刻をとうに過ぎている。我慢できず,チャイムを押すと,Sharpless 先生が中から驚いた顔で出てきました。時間を間違えたと思った筆者は,Sharpless 先生は非常に知識人で,そのときみんなを待つ間いろんな話をすることができて,とても貴重な体験でした。その後,研究室の同僚にその話をすると,ファッショナブリーレイト (Fashionably Late) (ホストのことを考えて敢えて少し送れて行くこと) の話を教えてもらいました。

サンディエゴでは,スクリプスの日本人会があって,年に数回バーベキューパーティーが行われています。そこで,いろんな情報交換を行ったり,研究者の奥様どうしが仲良くなったりします。日本スクリプス会というものがあって,西日本と東日本で年に一回ずつ会合があります。このおかげで日本に帰った後でも,この会を通じて様々な方と知り合うことができました。

私が留学した 2009 年の一年の間に,マイケル・ジャクソン氏の逝去や豚インフルエンザの大流行など様々な大変なことがおこり,記憶に残る忘れられない一年になりました。同じアメリカでも東海岸とはまた違う文化や環境での生活は,筆者にとって非常に有意義なものとなりました。

最後になりましたが,このような機会を与えて頂いた大嶌幸一郎先生,留学先を決めるにあたり相談に乗って頂いた依光英樹先生,サンディエゴで大変お世話になった Fokin 先生,Sharpless 先生に厚く御礼申し上げます。また,滞在中にお世話になった皆様に心より感謝致します。

本体験記は近畿化学協会有機金属部会Organometallic Newsに掲載されたものを改変、編集したものです。掲載内容は2010年当時のものです。