本体験記は近畿化学協会有機金属部会Organometallic Newsに掲載されたものを改変、編集したものです。掲載内容は2009年2月当時のものです。
「Jun、お前palau’ amineを作らないか?」
数分の雑談の後、初めてのBaran教授とのミーティングはここから始まり、米国での研究がスタートした。2007年4月、博士を取得したばかりの私は、博士研究員として米国カリフォルニア州サンディエゴにあるスクリプス研究所化学科Phil S. Baran研究室に留学した。
Baran教授は当時associate professorとなったばかりの若干29歳、新進気鋭の合成化学者である。2多数の複雑な天然有機化合物をいとも簡単に短段階かつ斬新なルートで合成し、Robert Woodwardの再来ともいわれている。
さて話をもとに戻すと、文頭にあげたpalau’ amineは多くの著名な有機合成化学者が長い間合成研究を行っているが、いまだ難攻不落の天然物である。2年で合成できるのかという気持ちと、攻略したいという好奇心、最終的にはうまい言い訳を英語でいうことができず、二つ返事でOKした。さらにはこのチームリーダーになってくれと言われ研究が始まった。また、Philが言ったのか、はじめから研究室の皆が私の名前を知っていて期待されているのであろうと高揚した。博士課在籍時に短期間であるが、同研究所のK.C. Nicolaou研究室に在籍していたこともあり、2日で生活のセットアップを終え、3日目から全力で研究に取りかかった。しかし、現実は違った。チームは当時、私を含めて5名もおり、全くではないものの異なるルートで全合成を目指していたのである。さらに、1週間に数度のPhilとのミーティングの以外に、私だけここから3ヶ月弱彼と化学について直接話すことは全くと言っていいほどなかった。これには大変こたえた。
ただ、palau’ amineを攻略したいという気持ちだけが、研究へのモチベーションであった。
Baran研究室は、各々十数名が研究可能な2つの部屋が東西にあり、私は西部屋で研究を行っていた(Philは東部屋にオフィスがある)。ポスドクと学生の数はほぼ同数でうまく2つの部屋に振り分けられていた。東部屋は夜型であり、西部屋は朝型で、寝坊して朝9時に来ると必ず最後で皆すでにバリバリと実験を行っていた。ただ、夜9時を過ぎるとほとんど誰もいなかった。研究は新規かつ効率的合成戦略をベースとした天然物合成研究と反応開発であり、ポスドクや学生が1人のテーマもあれば、私のように2〜5人をかけてでも一刻も早く合成したいというテーマもあった。とはいってもその合成手法はほぼ自由であり、Philとの綿密なディスカッションで大枠を設定し、随時修正していく。まさに合成計画能力と合成化学の実力が問われる研究室である。研究報告会はなく、全体の詳細はPhilのみが知っている。ただ、「夕食付き」の研究セミナーが週1度あり、非常に高度の内容の合成化学のレビューを学生、ポスドクが作成し2〜3時間かけて発表、討論する。レベルが高く、英語を聞き取るだけで精一杯であったが大変鍛えられた。皆非常に仲が良かったので、常に一緒に食事や飲みにいったり、研究のディスカッションからくだらない話まで楽しむことができた。
夏が過ぎ(とはいってもサンディエゴは常に夏と変わりがないが)、ようやく結果が出始め、自分で設定していた鍵化合物へと辿り着いた。ここから米国の研究者、Philの研究に対する「熱意」を、身をもって体験することになった。それまでほとんど来なかった彼が1日3回、4回、5回と訪れ進行状況を聞きに来るようになったのだ。その後の合成ルートがうまく行きゴールが見え始めた頃には、最高1日20回を超えた。俺も反応を仕込む!と白衣を着て現れたこともあった。試薬を滴下するところを真剣な眼差しで直視する彼はまさに実験大好きな好奇心旺盛な子供に思えた。
ここからの数ヶ月は休みなく、魅力的なサンディエゴの気候に心を奪われそうになりながら合成研究に没頭した。食事はTLCを展開している間、家にも週に2,3回しか帰らず、Philのカウチで仮眠しながら実験を行った。それが伝わったのか、チームメンバーも怒濤の勢いで研究するようになり、化学でも皆一丸となった。最終的に10ヶ月ほどでpalau’amineの構造類縁体axinellamineの全合成を報告できた。これはチーム皆の努力の賜物であり、最終生成物のNMRを確認した際はPhilと皆で大声を挙げて喜び合い、祝杯をあげた。また、この全合成を彼の教授昇進公開講演会のハイライトとして挙げられたときは大変に嬉しかった。ノートに記載したもので1200ほどの実験を行ったが、それ以後の3ヶ月は90程度で、将来の研究方針を決めることに時間を割くことができた。また、人並みにカリフォルニア州や米国を満喫した。その後、現所属である伊丹健一郎教授(名大)と一緒に研究できる機会を得たため、残念ながら「palau’ amineプロジェクト」はプロローグと第一章のみで、約1年3ヶ月の滞在となったが、Philは困った顔をしたものの、とても喜んでくれた。彼には化学さることながら、個人的に何度かディナーに連れていってくれたり、将来について話し、親身になって聞いてくれた。化学に熱く、厳しく、そして普段は本当に気さくで優しい彼は、1歳しか年がかわらない私にとってまさに憧れの兄貴のような存在であった。
Baran研究室の生活は非常にエキサイティングであったが、その他にもスクリプス研究所では多数の優秀な学生、研究者と出会う経験を得た。日本人コミュニティーも充実していて、多くの優秀な「同期」と交流できたのもここで得た財産である。3是非、海外留学を検討している方々に、ここでの研究をお薦めしたい。
最後にこの留学に関してご助言をいただいた恩師である林雄二郎教授(東理大)、庄司満助手(現東北大講師)に心より厚く御礼申しあげます。また、この留学は日本学術振興会海外特別研究員として行われたものであり、この場を借りて御礼申し上げます。
1 最近では、滝澤忍、Organometallic News, 2008, 110-111. 等
2詳細な研究は Baran, P. S et al, Acc. Chem. Res. 2009, ASAP. (DOI: 10.1021/ar800182r)を参照。
3 スクリプス研究所に在籍した日本人の企業、大学研究者の会「日本スクリプス会」があり、活発な交流が行われている。