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Ghadiri Labに留学して:浦康之

本体験記は近畿化学協会有機金属部会Organometallic Newsに掲載されたものを改変、編集したものです。掲載内容は2008年4月当時のものです。

 

真っ青な空ときらめく海が果てしなく横たわる。眼下にはTorrey Pinesのゴルフコースが海岸に沿って南北に広がり、その上空をカラフルなパラグライダーがゆったりと、気持ち良さそうに舞う。繰り返される美しい日没の光景に暫し心を奪われる―スクリプス研究所化学科棟の西側上階からの眺めである。

筆者は2006年4月より1年9カ月の間、スクリプス研究所に留学の機会を得た。同研究所は米国カリフォルニア州最南端、サンディエゴ近郊のラホヤにある。車でフリーウェイを30分も南に行けばメキシコである。気候は非常に温暖で、春から秋にかけての乾季にはほとんど雨が降らず、まるで南国のリゾート地のようなところである。天気が良いので、筆者はよくロードバイクでUCSD(カリフォルニア大学サンディエゴ校)のキャンパス内を抜けて研究所に通勤していた。

スクリプス研究所は、14の研究棟に、280名以上の教授、800名以上のポスドク、230名ほどの大学院生、および1500名以上の技術・事務職員等を擁する米国最大の私立非営利研究機関である。医学、生物学、化学などの分野を中心とした基礎研究が行われており、Sponsored Research は年間約3億ドル(2007年)にのぼる。各種分析機器等、共同設備も非常に充実しており、研究者にとっては冒頭に述べた周辺環境からの誘惑をのぞけば、研究三昧の生活ができる天国のようなところである。1

 

スクリプス研究所の面白い点の一つは、外部に対する開放性である。筆者は化学科棟に居たが、建物入口にガードマンが常駐しているものの、基本的に誰でも自由に出入りができる。病院とも隣接しており、そちらからも一般人がよくやってくる。ある時には大きな犬を連れて建物内をうろうろしている人までいたぐらいで、研究所としての器の大きさ(?)を感じた。建物内部のデザインも吹き抜け型になっており、開放性の高さを感じるとともに皆が自然と顔を合わせられるような、人の交流を重視したつくりとなっていたのが印象的であった。安全性が保証されるなら、これぐらい開けているのが良いのかもしれない。学際プログラムや共同研究が極めて活発であることと相通じるものがある。

筆者が留学したのはM. Reza Ghadiri先生の研究室である。留学前まで有機金属化学を専門にしていたが、生来の気が多い性質のせいか、せっかくの機会なので他分野の研究に触れようと思い立った。Ghadiri研を選んだのはペプチドナノチューブやペプチドの自己複製、不斉自己触媒などのペプチド化学を中心とする研究の面白さと質の高さに惹かれたからである。また、スクリプス研究所に以前に留学された身近な先生方から、同研究所の環境の素晴らしさを聞かされていたことも大きな理由である。

Rezaは極めて頭が良いうえに完璧主義者である。論文原稿がほとんど出来上がっていても(少なくとも筆者にはそう見えた)、自身が納得するまで絶対に投稿しないため、彼の机の引き出しには未投稿の論文が山のように眠っているようである。だがなかなか投稿しない代わりに、先述したが論文のレベルは非常に高く、文章を一言一句まで練りに練っている。彼が新しいテーマを立ち上げる際には、大きなビジョンはもちろん、具体的にどのような実験を行うべきか、細部に至るまで全てを考慮する。彼の頭の中では、完成されたストーリーが実験を始める前から出来上がっているような印象を受けた。そして実験を始めて困難に直面しても、何とか克服してついには最初に描いたストーリーに沿った形に仕上げる力強さを感じた。

筆者が初めて対面したとき、「君が頭のなかでどんなことを考えているかに興味がある」とRezaは言っていた。その人独自のアイディアを聞くことが好きなのである。彼自身、広範な知識を基に豊富なアイディアを持っており、実験室のホワイトボードの前で研究室のメンバーとよくディスカッションして、そのアイディアを披露していた。たまにはこちらも負けじとこんなのはどうかと提案すると、すぐに閃いて洗練されたものにして切り返してくるといった具合であった。話していて本当にサイエンスが好きなことが良く分かる、根っからの研究者である。日頃はジョークを交えながら、皆をよく笑わせているような方である。

研究室のメンバーは大体15から20名で推移していた。院生はほとんどがアメリカ人だが、教授がイラン人なのをはじめ、院生の倍近い人数のポスドクはすべて外国人であり、世界各国から集まっていた。筆者が留学した際には研究室に山崎龍先生(東京理科大)が在籍されており、特に初期の頃にはセットアップで大変お世話になった。研究室の皆はとても親切で、毎週研究室でビールを飲んだり、また近くのバーに飲みにいったりしていた。

筆者のGhadiri研での研究テーマは生物が出現する以前の化学(prebiotic chemistry)に関するもので、この研究を通じた交流として特に印象に残っているのが、近くにおられた同分野の大御所であるAlbert Eschenmoser先生 (スクリプス研究所) やLeslie Orgel 先生(ソーク研究所)とのディスカッションである。Rezaがこれらの先生を教授室に招いて、筆者らの実験結果についてあれこれと議論を交わすのだが、お二人ともかなりお年を召されていたにもかかわらず頭は素晴らしく冴えており、多くの有意義なコメントを頂いた。特にOrgel先生には定期的にディスカッションをしていただき、的確なアドバイスを毎回もらい、研究を進めるにあたり非常に参考になった。まさにバイオ系の研究所が集まるクラスターとしての地の利を感じた次第である(残念なことにOrgel先生は昨秋にご逝去された。ご冥福をお祈りする)。

最後になりましたが、筆者を快く受け入れて下さったM. Reza Ghadiri先生にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。また筆者の留学を全面的にご支援下さいました京都大学工学研究科の光藤武明先生(現在は名誉教授)、近藤輝幸先生、和田健司先生、ならびに多くの方々に大変感謝致します。

 

1 スクリプス研究所およびGhadiri研究室については、高谷光先生(京大)をはじめ、以前に留学された方々の優れた紹介記事があるのでそちらもご参照いただきたい。